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2009年1月

踏んだかもしれない 足跡濡れている

この句について、足跡が濡れているなんてよくあることだから平凡・・・と言われた。例えば、血がついているとか言わないとドキッとしない・・・と。
そこで、「踏んだかもしれない 足跡が赤い」というのも考えてみたけれど、どうも濡れているが捨てきれない。私の中では闇の中で、濡れているのが水なのか血なのか分からない怖さなのだ・・・。(わかるかい!)

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もういない人へと仕立て屋のはがき

そこにはまだ、その人の首周りや肩幅や身丈やらが残されているだろう。顔も首も胴体も、なんにもないトルソーのひしめいている洋装店。

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ぽたんぽたん 聞いてあげればよかった

今夜は「くねる」新年会だったが、終盤は“母と娘”というハードな話題になった。
聞き合うということは、大事なことだなぁとしみじみ・・・。



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無宗教無党派無口青海鼠

天宇受売命(あめのうずめのみこと)が海の魚を集め、「天つ神の御子に従うか?」と訊いた。魚たちは皆「従う」と答えたのに、なまこだけは黙殺した。怒った天宇受売命は「この口は答えぬ口か」と紐小刀でなまこの口を切り裂いた。以来なまこの口は裂けている。・・・のだそうです。

意外と骨のあるヤツのようです。
大好物です。なまこ。

それにしても、女神様、こわっ!

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振りきって渡る 流れが速くなる

昨日、「川柳 凛」という会の、十周年記念句会に出席。同人に知り合いがいるわけでもなく、どういう流れの川柳の会かも知らず・・・。
川柳と懸命に向き合う方々のお話、すばらしい句の数々。川柳に対する姿勢を見つめ直し、また、自身の句に足りないものが鮮明に見えて、得るものの多い句会でした。
停滞していた川柳がようやく流れはじめる気がしています。昨日の出会いに、感謝です。

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ちいさくなった母の出てくるポチ袋

久しぶりにプリンターを使おうとして、机の隅にポケモンのポチ袋を発見。こんなのあったっけ?と裏返すと。
 長い間お世話になりました。
 電気代の足しにしてください。
 身体に気をつけてね。
母だ・・・。
「旅行ありがとう」じゃなくて、「電気代の足し」・・・。家でそんなことを言われているのかな・・・?
折りたたまれたお札を、何度も手のひらで伸ばしてみたけれど、背を丸めるようにまるまってしまった。

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聞きたけりゃさあとろとろにしてごらん

先日の句会、お題「とろとろ」の句。
Y子ちゃんが、桐子は絶対にとろとろになんかならない!って。人をゲソみたいに!
じゃあどうして聞き出すのさ。
・・・殴る蹴るのボコボコ。
そんなことで、あたしゃ口を割らないよ。やっぱりとろとろよ、とろとろ・・・。
・・・別に聞きたいこともないけど。
ないんかい!

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母帰す ちいさな雪のふいに止む

帰るべき場所に帰っていった。
私の出かけるのに合わせていっしょに家を出て、途中で分かれた。
後姿を見るのが嫌だったので、振り向かなかった。
雪の降り止んだあとの、明るさとさみしさと静けさと・・・。

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垣根越しはだけているは寒椿

あられもない花の姿をみることがある。
木蓮などは、安達祐実ちゃんのお母さんのヌードみたいだけど、
寒椿は、あらまどうしましょう・・・という雰囲気。

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答えだとおもう その手の置きどころ

何気ない仕草に、微妙な変化を感じてしまうことがある。相手が感じているということを、感じてしまうこともある。
お互いにだいたい分かっていることは、いいにつけ、悪いにつけ安心感がある。
まったく感じさせずに、えぇ~っ!という行動に出られると、その後とてもぎこちなくなってしまう。かなり(娘に近いくらいの)年下の人にたまにある。ジェネレーションギャップというやつかなぁ?

実は、今日のある句会で兼題のなかの一つが「答」だった。タイトル句は、例によってボツ句。
夕べ10時ごろに、いっしょに参加するM子さんから、ねぇ兼題は「苔」じゃなくて「答」だよね?とメール。夜になったら細かい字が読めないんだ・・と笑った。
でも、句会も終わってから、二つの字がよく似ていておもしろいなぁ・・・と思って。
 ひっそりと苔は答を抱いている  な~んて詠んでみたり。漢字ならではのおもしろさもある。

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からだ中ふかく忘れた痕がある

動物園に連れてこられた動物たちには、忘れようとした痕がある。
ここで生まれた子どもたちにはない。

忘れよう忘れようとしているうちは、忘れられない。
忘れてしまっても、やっぱり深いところで自分の一部になっている。
・・・そんなことをおもいながら、まだこころが動物園の中にいるような日々。

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陽だまりに骨はあくびをしたまんま

久しぶりに吟行に参加。
冬の動物園はひときわかなしかった。
中でも、ぐるぐる回ってきては目を合わせる象がもの言いたげで、白い目やにをつけたその目が忘れられない。

そんな中、台の上に無造作に展示された動物の頭蓋骨ののんきなこと。口は閉じているのにすかすかで、あくびをしているような、笑っているような・・・。
いずれはみんなそうなるのだ・・・と、妙に安堵した。

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花八手おもいでばかりあざやかで

子どものころの思い出は、ところどころ色が強烈に残っている。
中でも忘れられないのは、5~6歳の頃の縁側。
小さな花壇には朱色のサルビアが咲いていた。
日当たりのいい縁側で、妹と遊んでいた。
妹が「いいこと教えてあげる・・・」と、小声でささやいたその瞬間、
すべての色がなくなって、モノクロの世界になった。

あとから記憶をつくりあげたのかもしれない。
けれど、あまりにも鮮明な記憶。
冬の夜の臙脂色のオーバー、初潮・・・
赤の記憶は、かなしいものが多すぎる。

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飛び立ったゆっくり泣ける穴残し

北のほうへ出かけていました。
一夜明けると、私の棘も角も・・・
村ごと雪にまあるくくるまれていました。

雪の村は、気持ちを沈め、
詩や物語は、北の国で生まれるのだと思いました。

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愛に似たもののあふれている土鍋

鍋の中、みんなふにゃふにゃと輪郭をなくしていく。
どこまでが自分で、どこからが相手なのか・・・。

鍋に飛び込みそびれた葛きり一本。
透明になりたい?
いいえ、私は私・・・このままでいいのです。

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冬の日の線路それでも母で娘で

母と立つ駅。
ここまでも、ここからも、線路は交わることなく、離れることもなく横たわっていた。

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よそよそしいあなた パリパリのシーツ

宿の、糊のきいたシーツはあまり好きでない。
ひんやりと馴染まないまま朝を迎える。
かといって、くたくたのシーツも馴れ馴れしくて困る。
どっちやねん・・・どこでも眠れるくせに・・・。

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触るまでただのきれいな花だった

私にとって、“きれい”というのはあまり魅力的な要素ではない。
儚げとか、多少の毒気がある方にむしろ惹かれる。
けれど、触れて感じる、好きになることもある。
桜はそのつめたさに、薔薇はやわらかさに触れて、親しみを感じた。

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手まねきをされる つなぎそこねた手に

今ならつなげそうな手が、そこにある・・・。
あたたかいうちにつなぎなさいと、誰かの声・・・。
ためらっては、いけませんか?

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しあわせを反芻すると誓う牛

新年おめでとうございます。

何を隠そう、わたくし年女でございます。
この牛ときたら、かなしい出来事を反芻するセンチメンタル種らしいのです。
そこで、「うれしかったこと、たのしかったことを反芻する」という新年の目標を掲げました。

小さな花や淡い虹を見落とさないように、ゆっくり歩みたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。

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