よんだよ

洞(うろ)というやさしい穴を持っている

 太刀魚や遠き光を撥ね返し
 忘るるにつかふ一日を蔦茂る
 待たされて美しくなる春の馬
 秋の湖しばらく息を吐かずにおく
 霧吹きの口さびしさや春の宵
 蜥蜴の尾つるりと黒を選びとる
 競泳の水底という四角かな
 ヨットより出てゆく水を夜といふ
 君の遣ふ言葉は薄し舟遊
 湖の底の祭りを掬ひに行く

      俳句集「海藻標本」 佐藤文香

作者は1985年生まれ。高校生(中学?)のときから、作句をはじめられたようだ。
出会ったときがその人のタイミングとは思うけれど、はじめての恋愛や妊娠、出産のときに、もし川柳と出会っていたら、どんな句を残しただろう・・・と思う。

手にとったときは、タイトルに違和感を覚えたが、読み返すうちにうまいなぁと納得。澄んだ水の中から救い上げた思いの草を、ゆっくり乾かしてできたことばを集めたような趣き。
『待たされて美しくなる春の馬』 ダントツでこの一句が好き。春の陽のような淡くやわらかな高鳴りに、輝きはじめる馬・・・だれにも止められない、どうしようもない美しさ。

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束ねないでほしい 青すぎる花と

 補聴器に神戸の骨の折れる音
 正解だと思う 蒟蒻の固さ
 金魚鉢で死んでるしあわせな金魚
 味方だと言い張る底のない袋
 消し忘れた色がうしろに座ってる
 人間を踏んで三階まであがる
 落日へ百の心と百の耳
 春は黙って背中の傷口を見せる
 絹こしのこわれやすさにのめりこむ
 振り向いてくれるが立ち止まってはくれぬ

        川柳句集「両忘」 海堀酔月

なつかしくて、さみしくて、おかしくて…胸の奥からじわ~っと湿ってくるような句集だった。
「両忘」とは、是と非、善と悪、美と醜、愛と憎など両者の対立を忘れ去ることだとか。なるほど「諦め」や「開き直り」とは違う、生きることのくるしさの「受容」、やがて訪れる「解放」を感じた。
酔月氏は、「堺番傘」から川柳をはじめ、「川柳公論」、「点鐘の会」などにも所属される方だそうだ。政治が政党や派閥でひとくくりにされるように、川柳も所属で××の川柳、△△の人と言われがちだ。
これからも、一人と、一句と、出会うことを大切にしたい。
 

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待つ人のあって玄関冷えている

田辺聖子さんの短編「当世てっちり事情」に新子先生の句が出てきた。あ、それで、主人公の女性は、「しん子」さんなのかも。
しん子は、3年前に別れた元夫と道頓堀でばったり出会い、てっちりを食べに行く。てっさ、ひれ酒、てっちりに舌鼓を打つうちに、昔のふたりへ戻ってゆく。ところがてっちりの終盤で、別れた原因の元夫の間違いの話になり、「帰るわ、アタシ」と席を立ちかける。「帰る?いちばん旨い最後の雑炊食うていかへんのか」と言われ、「うーむ。雑炊に釣られたか」と考え直す。元夫はどこかで見た川柳を思い出す。
  神妙にお縄を受けて共暮らし 新子  (「春情蛸の足」講談社文庫)

なんか分かるなぁ・・・こういうの・・・。おいしいお酒、おいしい肴でお腹がふくれると、ついしゃあないなぁとなってしまうもの。

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適当に嫌い合ってる葱と味噌

読みはじめたばかりだけど、おもしろい!

本書で私がつかんだこと、それは「嫌い」という感情は自然なものであること。そしておそろしく理不尽なものであること、しかもこの理不尽さこそが人生であり、それをごまかしてはならないこと、このことです。 『ひとを<嫌う>ということ』(中島義道 角川文庫)

家庭内で妻と子に嫌われたことから、「嫌い」が人生最大のテーマになったのだとか・・・。
嫌われることをこわがらなくてもいいんだ。
人はゆえなく人を好きになり、ゆえなく嫌いにもなる。そうだ、そうだ。

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言い過ぎて複雑骨折したクラゲ

句集というのは、ある意味こわいなぁと思う。一句、一句では、見えてこない、作者そのものが立ち上がる。
ある俳人の句集を読んだとき、ざらっとした気持ちの悪さが残った。私は特別な人間なのだ・・・作者の選民意識が感じられた。

暗くても明るくても、重くても軽くても、読後のフィット感、気持ちよさを感じる句集は、何度も開くことになる。その人の句が好きから、作家のファンになる。

新家完司川柳集(五) 「平成二十年」を知人が送ってくれた。
 
 観覧車ひとまわりしてまだこの世
 仔犬ころころそうかこの世は楽しいか
 ゴミになるものを掴んで帰り着く
 ごいっしょにうたいましょうとさくさくら
 この世という袋 あの世という袋
 憎しみは憎しみ蛇は蛇を産む
 靴の底だんだん減って僕の顔
 大きな木にんげんなどは見ていない
 セイタカアワダチソウ長い名前がまず不快
 どんぐりのまま老人になっちゃった
 夕べ咲いたばかりの白いブラウス
 本当のことを書けよと雪が降る

ファンになりました。新家完司さん。
いいなぁ・・・。喜怒哀楽をひょうひょうとしっかり受け止めて。

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神も棲む木造モルタル二階建て

「くねる」と同時期に、歌人、今橋愛さん、雪舟えまさんの2人が、一年だけの同人誌「Snell(すねる)」を発行するというので申し込んだ。
こちらは、すでに4号・・・どんどんおもしろくなっていく。短歌以外に、小説、エッセイ、日記、・・・と、実に多才。中でも、今号のえまさんの俳句に惹かれた。

 月経の上に眠って冬終わる
 出会うものをすきになりたい犬ふぐり
 踏切をわたる足首噛まれそう
 われわれは出来上がりません春の泥
 吉方位南西とあり夫を抱く
 サードオピニオン加湿器抱きしめる
 とうきょうの雪はあて名を滲ませる
 シベリアは母の寝室のあだ名なり

(「Snell」 Vol.4  Snell発行所)

みずみずしい感性だなぁ・・・。
「くねる」もがんばらねば・・・。次は若々しく「はねる」・・・重厚に「うねる」・・・いっそ「ごねる」・・・(タイトルちゃうやろ!)

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あいするはねむくなること春の猫

破調(5・7・5になっていない句)について漠然と感じていたことを、歌人の荻原裕幸さんが実に明快に語ってくださっていた。川柳の字足らず、字余りも同じことが言えると思う。

きょうも一例あったのだが、字足らずはやめましょう、という便宜的な話をよくする。むろん字足らずそのものが問題なわけではない。ただ、定型に一度ひきよせられてから離れてゆくのと、定型にひきよせられる前に離れたところに着地するのとでは、ことばの質感がまったく違って、後者は、どこか短歌になりきれていない感じが出るようだ。前者は、カルチャーの教室だけではなく、他の場所でもあまり見かけない。(ogihara.com 荻原裕幸)

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ふるさとの柿の重さよあかるさよ

シンガーは確かにユダヤを書いた。・・・とはいえ、その作品は、閉じられたものではない。むしろ開かれている。こんなにも特殊を描いたように見えて、なぜ深くから開かれているのだろうか。・・・宿命的な流れに繋がるその小説には、重さと明るさがある。いつ、どこを読んでも。(「秘密のおこない」蜂飼耳 ラビのなやみ)

先日、詠んだ自句と「重さとあかるさ」が同じだったので、どきりとした。

先週の小春日、丹波篠山に出かけた。まだ吊るされたばかりの干し柿が、軒にぶらさがっていた。時が経てば、どんどん甘くなる、まさに“ふるさと”。

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さっきまで声のしていた箱のぞく

弘津秋の子さんの川柳句集「アリア」を読む。
  まっさらな空つっきって帰ります
  幸せな人はゆっくり返事する
  したたかになってきたなあ真っ白だ
  それではと鋏になって立ち上がる
  祈りつづけていると夕日は沈みます
  ぶんぶんぶん蜂は蜂しか愛せない
  そいえば離れて暮らす天と地も
  発声練習私を破りたいのです

孤独をたたえたおだやかさ。あたたかなかなしみに包まれる。
川柳っていいな。人っていいな・・・。
私もやっぱり詠みつづけよう。

静かになるって、怖いことですね・・・。

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透き通る 黒い部分も見せたくて

おかしな夢をみた・・・。家にどんどん知らない人が入ってくる。リビングの壁に見慣れないドアがあって、開くと古い廊下と階段。知らない人たちは、その階段からあがってくるのだ。廊下のつき当たりには、部屋らしきものがある。娘は、そこにいるのだろうか?怖くてお経を唱えながら、ドアを開いた。見慣れた娘の部屋だった・・・。

おそらく、この一句からみた夢だと思う。
 私の部屋にあふれる通行人  佐藤みさ子
去年から、何度も読み返している川柳句集「呼びにゆく」の一句だ。
 うたうたうくちのかたちをうたがわず
 かなしいことがあって五月が美しい
 はじまりか終わりか布をかけられて
 手のひらを開けて潰れたものを見る
 深いかと聞いた溺れている人に
この方も、透き通らせた自分を見つめている方だと感じた。
前書きも後書きもなく川柳のみで語った一冊・・・、ずぶずぶと句の世界に引き込まれてゆく。
一刷りは完売。1月中旬に第二刷発行予定だそう。お問い合わせは、あざみエージェント(nomark6061@yahoo.co.jp )へ。

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燃え残るものの白さに詫びている

デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインである。(原研哉「DESIGNING DESIGN)
銀座松屋や無印良品で知られる原研哉氏のデザイン集を読む。

原氏は「白」にこだわる。白はもともと、頭蓋骨の象形文字だとか。野ざらしになり、風雨と陽光にさらされた乳白の白・・・白はなにもなくて、すべてを包含した色だったのだ。

川柳を始めて2年くらいは、まず自分の想いに近いビジュアルを想起して、それに言葉を添わせるように詠んでいた。CMやポスターのコピーを作る感覚に近かったと思う。
最近はそうしたスケッチなしに、見て、聞いて、触れて、感じたままを詠むことが多い。
原氏の言葉を借りると「五感の覚醒」・・・川柳を通して、心身のセンサーが少しは能動的に働くようになったのかもしれない。

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話したいこともあるのにパック餅

お煮しめの残りでバラ寿司を作って、お正月も終わり。明日からまた仕事だ。

小半日のんびりと俳句集を読んで過ごした。
 熱湯のさびしい匂い雪もよい
 舌の根やときに薄氷ときに恋
 芹の水ころすほどには愛さずに
 洋梨の疵を向うに向けて置く
 煮凝りや去年の今夜泣いていた
  (池田澄子「句集 たましいの話」)
この方の句で、大好きな一句がある。
 じゃんけんに負けて蛍に生まれたの

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よく笑う壊れはじめているらしい

「声」がかなり気になる方だ。通勤電車の車内アナウンスも、「声」から容姿や性格を想像して、つい空想にふけったりする。好みで言うと、落ち着いた声に弱い。

ごくたまに自分の発した声に、嫌悪を感じるときがある。僅かに混ざる“甘え”の匂いを嗅ぎとったときだ。

人間の声には、職業とその人の精神構造が滲みこんでいる。(吉行淳之介「ダンディな食卓」)・・・らしい。そんな気もする。

そこからは誰かと電話で話し笑う声。あっちからは、テレビの声と笑い声。それぞれの部屋から出てこない笑い声・・・ほっとさみしい。

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バカボンのパパの車は迷わない

方向感覚がゼロのうえに、地図が読めない。いつも道に迷う。車でよく知った道を走っていても、どことなし不安・・・。迷わない運転手は誰だろう?・・・・・・バカボンのパパだ!「これでいいのだ!」と、ずんずんばく進する。歩行者道路を突っ切って、川を渡り、滑走路から飛び立つ車が見える。

五木寛之さんが今売れているのは、「いろいろあるでしょうが、どうにもなんないんです。それでいいのだ」。要するに天才バカボンのパパなんですよ。(糸井重里談「久世塾」)

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小糠雨 尾崎豊の傘にいる

久しぶりに大きな書店に寄って、書棚の間をエイのようにひらりひらりと浮いたり沈んだり・・・。若い女性の短歌集を選び、フロアの一角でコーヒーを飲む。

窓には雨雲がゆっくりゆっくり流れ、早く帰らないと雨が降りそうだ・・・と思いながら、エイのままソファーに張りついていた。

やっぱり降りだしてしまった。ハンカチを頭にのせて、ケータイの尾崎豊を聴く。雨の日の尾崎豊の声が好き。

 なんとなくかなしくなりて夕暮れの世界の隅に傘を忘れる (「乱反射」小島なお)

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サックスの闇をくぐってきた嗚咽

やっとの思いで、一通の手紙を書き終える。

『淋しい』という感情がなければ、人はもっときれいに生きるだろう。(リリー・フランキー「まむしのanan」)・・・ほんとうにそうだと思う。

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